「公開処刑」(King Giddra)の影響

 

 

 一部ドラゴン・アッシュファンの騒ぎたて方を見ると、King Giddra feat.Boy Ken 名義で投下されたDis曲「公開処刑」(Dragon Ashに対するDis曲)は思いのほか、大きい影響力を持った曲だったようだ。

 第一に、この曲以後ドラゴン・アッシュは日本語ラップ界とは完全に縁を切った。(この曲以前からロックに回帰しつつあったが。)第二に、一部のドラゴン・アッシュのファンにとっては忘れられない傷となったようだ。

 私の意見としては客観的に見て、ここまでは言えると思う。しかし、ドラゴン・アッシュのファンに言わせればさらに第三の影響として、

 ドラゴン・アッシュが日本語ラップから手を引いた結果、日本語ラップの売上は急速に減少していった。

ということが挙げられるそうな。つまりは、「ドラゴン・アッシュをDisしたZeebraのせいで、日本語ラップは衰退した。日本語ラップが流行らなくなったのはジブラのせいだ!」ということらしい。

 

■背景

 話を戻して、そもそも何でジブラがドラゴン・アッシュ(とりわけ降谷 建志)をああも痛烈に名指しDisしたのかということだが・・・これについては私は当時のことをよく覚えている。

 ドラゴン・アッシュが2000年に発表したシングルに「Summer Tribe」という曲がある。当時、私はこの曲を聞いて驚かされたものだった。

 降谷 建志(Kj)のラップがジブラのスタイルに酷似していたのだ。いやスタイルが似ているというレベルではない。声、ライミング、PVでの動き方、すべてが似ていた。とりわけ“声”。意図的にモノマネしたとしか思えないレベルであった。ライミングに関しては、ジブラのクラシック曲「真っ昼間」を意識しているな、と思わせる部分が多かった。

 ヒップホップには「盗みの美学」(サンプリング)があり、ある程度のオマージュは良しとされる。
Kjがジブラを尊敬していたのもわかる。しかし「Summer Tribe」はあまりに露骨だった。

 Kjとジブラが接点を持ったきっかけは、Kjがジブラのアルバム「Rhyme Animal」に魅了され、同アルバム中でも評価が高い「真っ昼間」をリミックスしたことにある。リミックスが原曲を超えることは中々ないが、Kjのリミックスは人によれば原曲より良いと感じるほどの、素晴らしい出来だった。(当時私はこの曲が収録されたEPを聴きこんだものです。)

 ジブラがKjを評価したのも、Kjがその機会に尊敬してやまないジブラに近づいたのも当然の成り行きだった。


■最初の兆し

 ジブラによると、Kjに対して最初に不信感を持ったのはドラゴン・アッシュにジブラが客演した曲「Greatful Days」中でのKjのライミングが「Rhyme Animal」のスタイルに似ていることに気付いた時らしい。

 ジブラはドラゴン・アッシュをミクスチャーのアーティストと考えていたので、「Rhyme Animal」のスタイルを模倣したラップを見せられ、そのことに何の弁解もないので、一緒に仕事をしていく中で不信感を深めていったという。

 その後、ジブラは警告がわりに名指しこそしないものの、Kjに対する隠語的なDisを自身の曲中に盛り込んでいくこととなる。

 

曲名 年度 誰が誰にDisしたか
ハルマゲドン 2000年 ジブラ ⇒ Kj
Mastermind 2000年 Mummy D ⇒ Kj
Rising Sun 2001年 ジブラ ⇒ Kj
宇頭巻 2002年 竹中空人 ⇒ Kj




 この後に出たのが「公開処刑」であった。実際にはKjへのDis曲はもっとあるのだが、上にあげたものはすべて「ジブラのスタイルをKjがパクった」という主旨のDisがあった曲。つまり、Kjをこうした文脈でDisしていたのはジブラだけではなかった。ファンのレベルでも私を含め多くの人が「Summer Tribe」以降は、「Kjはジブラをパクったアーティスト」と考えていたし、「公開処刑」までの流れは至って自然なものに思われた。


■ドラゴン・アッシュがいなくなったから、日本語ラップは衰退した?

 一部のドラゴン・アッシュのファンはジブラに対してこのような批判の意見をぶつけたがっているようだ。そして実際にツイッター上で、ジブラをこのような文脈で非難した人まで出た。いくらなんでも、2002年のDis曲のことに未だにこだわるのはおかしいと思うし、アーティスト本人に絡むとはKYにも程があるのでは?と言いたくなるが、どうやら最近この曲を知ったニュー・カマーも多いようである。

 私の意見としては、ドラゴンアッシュが日本語ラップから手を引いたから、日本語ラップが売れなくなったなどということは、無いと思う。確かにドラゴンアッシュは日本語ラップブームを作ったが、それは本物のファン獲得に必ずしも繋がるとは言えない、一過性の性質のものであったと思う。それに、ヒップホップが売れなくなってきたのは、日本に限らない。さらに言えば、ヒップホップのみならず、ドラムン・ベースなど、サンプリング色が強いクラブ・ミュージックは概ね衰退期にある。

 クラブミュージックとしてはハウスなどの4つ打ち系に敗れ、セールスではポップスに勝てず、ライブ音楽としてはロックに勝てなかった。それがある意味リアルな“ヒップホップの現状”なのだろう。私のようにサンプリング音楽を好むファンは、年々減っていっている。サンプリングじゃ売れないから、サンプリングではないヒップホップが作られ、それにより長くヒップホップを支持していた人も離れていくという、“負のスパイラル”からヒップホップが抜け出す見込みは薄い。

 
こういう大きな流れを前にして、「ドラゴン・アッシュがいれば日本語ラップの現状は違っていた」などと主張するのは短絡的過ぎると思う。


■ジブラがKjとの仲を復活させようとしている

 このことについてもドラゴン・アッシュファンは不満なようだ。散々Disってきたくせに、今さらまたよりを戻すのは虫が良すぎる、ということなんだろう。

 しかし、激しくやりあったJay-ZNas、さらにはサウス・ブロンクスとクイーンズ・ブリッジのどちらがヒップホップ発祥の地かという論点で激しいビーフを繰り広げた(いわゆる「the Bridge Wars」)Krs-Oneとジュース・クルーのドンであるMarley Marlも和解して一緒に曲を出している。Krs曰く、「若い人にヒップホップのビーフはマジな戦いではなく、エンターテイメントであることを理解してほしかったから」だそうだ。

 個人的な意見としては当人たちが納得するなら和解すべきだろうと思う。他人同士の交遊関係は、ファンといえど第三者が口出すことじゃないだろう。


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