ヒップホップ3大プロデューサー

 

   どうも正式なものとは思われないが(英語で検索してもヒットしない)、日本のネット界にはヒップホップにおける3大プロデューサーという概念が存在しているようだ。では、一体どういう面子をもって”3大”とするかだが、これはDj Premier(以下プレミアまたはプリモ)、Pete Rock(ピート)、Large Professor(ラージ教授)という顔ぶれで統一されているようだ。

 アメリカのサイトではこんなランキングもある。Q-tipが過小評価されていたり、L.E.S.が過大評価され過ぎていたりと、ハッキリいってめちゃくちゃなのだが、1位〜5位まではまあまともだと思った。

 実際のところ、3大なるものを選ぶとしたらどうなるだろうか?そんな考えが浮かんだので、書いてみる。

Premo まず挙げるべきはDJ Premier。異論がある人はいないだろうと思う。誰もが納得するNo.1トラックメイカー、それがプレミア。

 ケーダブ・シャインが「名盤各務塾」(上の動画)で語ったところによれば、プレミアはフックの概念を覆した人らしい。プレミアのフックといえば、スクラッチとクラシック曲の一部分を切り取った声ネタ。しかしプレミア以前は、フックといえばLL Cool J"Mama said knock you out”に代表される、“みんなでシャウトして盛り上がる系”が主流であったという。

 あと、なんといってもプレミアといえば、ミニマム化された音の鬼ループ。私はプレミアを聴いて、ヒップホップはループの音楽だという認識を得た。チョップ&フリップといったテクニックにより、ビズ・マーキーのサンプリング違憲判決をものともしない手法を編み出したことも大きな功績。

 彼については、とてもこの程度のスペースでは語りつくせない。真冬の渋谷ナッツで朝6時ぐらいに出待ちして握手してもらったのは、良い思い出になっている。セキュリティーが止めていたのに握手してくれた。 

largepro 次にLarge Professorについて。個人的にはプレミアと並んでトップ・トラックメイカーに推したいのがこの“ラージ教授”であるが、一般的にはどうだろうか?

 
教授の功績として挙げられるのは、主に①メインソースの傑作アルバムのプロデュース(ソース誌5本マイク)、②同アルバムにて当時まだ17才のNaSをフックアップした、③illmaticでの仕事(特に”Halftime””It ain’t hard to tell”の2曲)、などが有名であるが、実際のところ最も大きいのは゛Breaking the atom”にて、プロデューサー本位の(トラックメイカーが主役となる)アルバムを成功させ、プロデューサー重視の流れを作ったことにあるのだろう。以後、Diamond Dの1stやDJ Shadowの1stなど、多くのプロデューサー本位のアルバムが作られてきたが、ラージ教授はその最初の人だと思う。
 
しかし、教授のキャリア全体を俯瞰してみたときに際立つのはその不運。Eric B & Rakimの2nd albumのほとんどのトラックをプロデュースしたとされるが、当時はまだ軽く見られていたためか、クレジットに名前が載ることがなかった。90年代半ばに製作したアルバム”The LP”にいたってはレコード会社との問題から発売されることすらなかった(2008年にようやく再発され高評価を得た。90年代半ばに発表されていたならば、クラシック曲と認定されていた可能性が高い曲もある。本当にもったいない限り。)。
 
このようにキャリアのうち実力どおりに輝けた期間がわずかに過ぎない教授が、プレミアやピート・ロック並みのプロップスを得ているのは、一部のヒップホップファンがいかに良心的にアーティストを評価してきたかの証拠と言える気がして、一ファンとしても誇らしい気持ちになったりする。

pete 3大プロデューサーの3人目に挙げるべきは誰か。やはり世間の相場どおりピート・ロックだろうか?ピート・ロックと言えば、90年代中盤までにPete Rock & C.L. Smooth時代の2枚のクラシックアルバムによって、プレミアと並ぶトップ・トラックメイカーの地位を不動したし、セルフ・リミックスを含むリミックスアルバムによって、有名なPublic Enemyのリミックスを含む、名リミックスを多数生みだした。Biggieの名曲“Juicy”も実はピートがベースをつくり、そのアイデアをパフ・ダディーが盗んだとされる。ピートとパフ・ダディーなら、誰もがピートが言うことを信じるところだろう。

 しかし、ピートを3大プロデューサーに推すことには、あまりにニューヨーク偏重になるということや、他のプロデューサーとの比較から、少しためらいがある。個人的には、ピートはプリモや教授ほど愛聴してこなかった。クラシック認定されている曲にしても、絶対的なクラシック曲であるT.R.O.Y.の印象こそ強いが、数はプリモよりも少ないし、オリジネイターとしては教授に劣る。なので、思い切って3人目からピートを除外したいと思う。

marleymarl

 オリジネイターと言えば、教授クラスのオリジネイターにMarley Marlがいる。Juice Crewを率いたクイーンズ・ブリッジの絶対的なトラックメイカーとして、80年代後半に絶大な存在感を誇ったマーリー・マールだが、SPシリーズを使ったサンプリングを最初に広げた人とも言われる。

 余談だが、教授がSP1200の使い方をプレミアに教えたという“伝説”が語り継がれているが、教授によれば、プレミアもまた教授に重要な手法を伝えたらしい。情報交換として、教授はプレミアにSP1200の使い方を教えたとのこと。プレミアが教授に何を伝えたのかは、インタビューでは語られていないようだ。

 教授やプレミア的なプロデューサーの直径の祖にあたるのが、このマーリー・マールだと言える。

drdre

 ピート・ロックやマーリー・マールを抑える形で私が3大プロデューサーの3人目に挙げるのは、Dr.Dre。正直、この人の音楽を特別に愛好しているわけではないのだが・・・実績を考えると挙げざるを得ないだろう。

 N.W.A.の1stを含めると、Dreがプロデュースに関わった作品で5本マイクを取ったのは、Dre自身の1stと2nd("The Chronic"と"2001")、Snoop Dogの1st("Doggy Style")と4枚にもなる。The Source誌の権威を鵜呑みにするなら、Dreはプレミア以上の存在ということだろうか。

 いわゆるジョージ・クリントンのやっていたP-ファンクのサンプリングによるG-ファンク時代(92~94年あたり)から、新たな形を提示しその後の潮流を作ったとされる"2001"(99年)以降の00年代。影響力という点でも、チョップ&フリップという手法を提示したプレミアや、DJ重視の流れを作った教授にも全く劣っていない、西海岸のトップ・トラックメイカー。やはり加えないわけにはいかないところだろう。

 RZA、Showbiz、Da Beatminerz、Q-tip、Madlibといったあたりのトラックメイカーについては、ロッシの個人的3大プロデューサー選考からは漏れたものの、後日別に書いてみたいと思います。

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