「地下室の手記」は一見形式が全く異なる2編構成になっている。いずれも独白である点は共通しているものの、前編は社会主義の理想主義的な側面を批判する独白であり、後編はほとんど小説の形をとった独白である。この2編の繋がり方、つまり前編の終わり方および後編の始まり方はやや強引な感がある。地下室人がぼた雪の降り始めたのを見て、過去の実体験を思い出して語り始める。ぼた雪を見て思い出した話ということで、その題も「ぼた雪にちなんで」とされる。
社会主義批判を冗長にまくし立てる前編と、過去の実体験を小説的に語る後編。不自然かつ奇抜な構成に思われる。しかし、この前編と後編には本質的な部分において、連綿とした繋がりが認められる。その本質的な部分とは、一つにはこの作品の主要テーマとなっている「人間の非合理性」についてであり、もう一つは、芸術家としてのドストエフスキーの創作原理について(バフチンのポリフォニー論)。
■人間の非合理性について
○初期の人道主義~「死の家の記録」まで
ドストエフスキーが若い時分にいわゆるフーリエ主義(空想的社会主義)に傾倒し、フーリエ主義を研究するサークルに所属していたことは、ドストエフスキーを読む人なら誰もが知るところだろう。初期のドストエフスキー作品には人道主義的な色が濃く表れており、フーリエ主義のみならず、リベラルな価値観一般にドストエフスキーが染まっていたことが分かる。
ドストエフスキーは単にフーリエ主義について学び、仲間と語り合っていただけであったのだが、当局は革命運動に繋がりかねない社会主義を押さえ込むため、見せしめとしてドストエフスキーらを逮捕した。死刑の判決が課せられドストエフスキーは死刑台送りとなったが、執行の直前で皇帝により恩赦を与えられた。もちろん、こうした絵は当局により既に描かれていたのだった。そしてドストエフスキーはシベリアの刑務所送りとなった。このシベリアの刑務所でドストエフスキーが体験したもの、これは「死の家の記録」に書かれている。この本は全編を通じて人道主義的色合いを失っていないのだが、それまでの作品と違い、自ら体験したという現実を基に書いていることもあり、高度な現実感覚の体現に成功している。シベリアで体験した現実、これは理想主義の枠に落とし込むにはあまりに生々しい現実であったに違いない。人道主義的に刑務所体験を綴った名作とされる「死の家の記録」であるが、随所にドストエフスキーの転向の兆しが読み取れる。
○転向
「死の家の記録」から約3年後に発表された次作品、「地下室の手記」によって、ドストエフスキーはそれまでの作家人生において依ってきた社会主義思想や理想主義に、真っ向から反対の立場を示した(同時にこれはドストエフスキーの終わりなき「ロシアの神への回帰」の始まりでもある。)。
ドストエフスキーが刑務所で関わってきた囚人たち。彼らは西欧ナイズドされた知識人(彼らの多くは社会主義者である)が論じる「民衆」とはあまりにかけ離れていた存在であった。社会主義者が論じる「机上の民衆」と違い、囚人は一様な存在ではなく、社会主義者が想定していないある種の傾向を持っていた。
社会主義は、大陸的な合理主義(フランス的な近代合理主義)を背景に持つ。地下室人が憤るごとく、「2×2が4」という按配に数学的、合理的に社会設計をする。ここでは、人一人一人が持つ差異や非合理性は考慮されていない。地下室人は人間は「2×2が4」的な合理性に押し込められることを元来、嫌悪する生き物であり、真実、「2×2が4」であるからこそ、「2×2が5」と言ってのけたい非合理性すら持つという。ドストエフスキーがこのような人間の非合理性を発見したのは刑務所暮らしにおいてだろう。そして、非合理的な行動を取り続ける囚人たち(ロシアの民衆)が唯一素朴に信じているのがキリストであった(彼らは生来、自然な形で神を内に持っていた。合理的な理屈で神の有りや無しやを推量することもしない)。近代合理主義は無神論への第一歩であり、社会主義となると無神論にかなり近い思想を内包している。ロシアの西欧ナイズドされた知識人たちは、ロシアの民衆たちの素朴なキリスト信仰を見ようとせず、「2×2が4」的に「民衆」を論じていたのであった。
この作品中批判されているのはチェルヌイシェーフスキイの「何をなすべきか」である。この本については私は未読であるが、「地下室の手記」に書かれているところから推察するなら、「水晶宮」なる社会の理想モデルを提示し、その「水晶宮」を建設するためにはどのような犠牲と努力やプロセスが必要であるかを述べた本なのだろう。チェルヌイシェーフスキイは「水晶宮」、トマス・モアは「ユートピア」、フーリエは「ファランジュ」の集合体。呼称は違うが、概ね意味は同じである。サン・シモン、オーウェンなどもこのような社会理想モデルを提示している。これらの考えは、現在のスカンジナビア諸国の政治システムを支える基本理念となっていると私は考える。
○ディストピア(逆ユートピア論)
ドストエフスキーは「地下室の手記」において、明確にこれら”ユートピア一般”に反対の立場を示した。そして、「悪霊」のシガリョフ(いわゆるシガリョフ主義)、「カラマーゾフの兄弟」の大審問官などの「ディストピア」(逆ユートピア)を構想するに至る。この逆ユートピア論もおそらくは、ドストエフスキーが初めて考えついた人であるが、私がここ2年以内に読んだ作品では、ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界が同じ発想による。ジョージ・オーウェルは逆ユートピアを最悪の社会と考えたのだろうが、ドストエフスキーにおいては逆ユートピアはユートピアに劣るものではなく、次善の策なのかもしれない。それほどに、ドストエフスキーは人間の自由意志を信用していない。ドストエフスキーが人間を非合理的な生き物だと考えるのは、後期作品の本質的な理念となっている。では何が最善の社会なのか?これは「カラマーゾフの兄弟」が未完の内にドストエフスキーが没したことにより、明確な回答は得られない。推察するしかない。ただ一つ言えることは、ドストエフスキーは人間を非合理的な生き物と考えながらも、同時に自然に神を内にもつ素朴なロシアの民衆に希望を持っていたということである。
以上、地下室の手記の主に第一編の社会主義批判を支える基礎概念について、「地下室人」ではなく作者ドストエフスキーを見ながら書いてみました。しかし、バフチンが言うとおりで、ドストエフスキーは第一義的には芸術家であり、政治学者でも神学者でもありません。よって、上記のような政治哲学的解釈にあまりにこだわると、ドストエフスキー作品の芸術性という本来最も重要な部分を読み落とすことになってしまいます。この点については、別途「第二編について」ということで、書いてみたいと思います。