1週間のウィーン&プラハ旅行から帰ってきて、はや2週間。
最も実感を持って思い出すのは、意外と取るに足らない細部であったりするものだけれど、
写真を見ると「ああ、こんな所にも行ったんだな」などと今更ながらに思ったりもします。
さて、ウィーンとプラハだけれど、結論から言えばプラハの方が遙かに個人的な嗜好には合っていた。
私はウィーンに石畳の道が続く欧州のまち(おそらく日本人が無意識に描くヨーロッパ像)を期待していたが、
実際には古い建築物が現代的な風景に取り込まれつつあるように思われた(よってプラハより“オシャレ感”はあるのだが)。
そもそも、ウィーンが最も発展したオーストリア帝国(~オーストリア・ハンガリー帝国)とは18世紀に隆盛を迎えた帝国であり、
過剰に“中世感”を期待しすぎたのかもしれない。しかし、こうして振り返って見ると、ウィーンもやはり素敵に見える。
ウィーンではどこもかしこも、モーツァルトとハプスブルク家を我がまちのシンボルと称えている。
モーツァルトはともかく、ハプスブルク家を誇る様子は、はたから見れば、(息子を殺された怒りから)
フランツ・ヨーゼフが始めた大戦(WW1)に敗れ、共和国へと“転落”した国民の旧・帝国への郷愁が感じられた。
上記の写真ははウィーンのメインストリートの一つ。
ウィーン市内の2大建築物とも言える、“新王宮”と“ステファン寺院”との間の交通に便利な道でもある。
いわゆる世界遺産の“ウィーン歴史地区”であり、ウィーン市内で歴史を感じる数少ないエリア。
そして右の写真がシュテファン大聖堂(ステファン寺院、スティーブンズ・チャーチ)。
写真では分からないけれど、一部補修中だった。
12世紀に建造を開始したということで、ウィーンの建築物としては特に古い部類に入ると思う。圧倒された感のある、数少ないウィーンの建物。個人的にはこちらの方がシェーンブルン宮殿より印象的だった。
上記の2枚の写真はステファン寺院の内部。ステングラスが鮮やかだった。
この教会には何度か訪れたが、いつ行ってもカトリックの信者たちがいた。
写真は大祭壇のものだが、この教会には副祭壇がいくつかある。
歩き疲れていた私もそこに座って、お祈りをしている信者たちに混ざり少しの休息を取っていた。